サンタ・サングレ

サンタ・サングレ 
聖なる血

SANTA SANGRE

『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』、伝説の
ヘッド・シネマの高僧アレハンドロ・ホドロフスキーが
シックと神秘の世界に帰ってきた。

1990年1月27日-1990年3月2日

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作品概要

邪悪な悪魔の血でさえも天使の存在を思い浮かべる美しい瞬間がある。

<解説>
映画配給の方法を変えさせたといわれる『エル・トポ』(’71)で衝撃的に登場した、アレハンドロ・ホドロフスキー。製作後10年目にして公開された『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』で、日本の映画ファンを震撼させたことは記憶に新しい。ジョン・レノンが『エル・トポ』に感激して配給権を買い占めたことは有名だが、他にもアンディ・ウォーホール、ミック・ジャガーなど、ホドロフスキーを愛するアーティストは数多い。今やカルト・ムーヴィー・ファンの間だけでなく、各方面で伝説化しつつある存在だ。『サンタ・サングレ 聖なる血』は、ホドロフスキーが9年ぶりに完成させた待望の新作。実話を基に作られたこの作品は、従来の彼の抽象的、哲学的なイメージをつきぬけた衝撃の物語展開、画面のすみずみに意匠を凝らした圧倒的な映像美と、製作のアルジェントが指向する流麗かつパノラミックな地獄絵が見事に溶けあった話題作である。
20年前、メキシコで1人の若者が30人の女を殺し死体を庭に埋めるという事件が起きた。犯人は精神病院に入院したが、現在は退院し小説家として活躍中である。ホドロフスキーは、この人物に会い、殺人に至る経緯などを詳細にインタビューした後、警察で事実関係をチェック。彼の話が事実であることを確認した。それから6年の歳月を費やし、『サンタ・サングレ』のスクリプトを書き上げたのだ。監督自身「初めて観客のために製作した」と語る『サンタ・サングレ』は、’89年カンヌ国際映画祭で初上映され、熱狂的な拍手で迎えられた。

<物語>
『サンタ・サングレ』は、サーカス団長のオルゴとその妻でブランコの名手コンチャと、息子フェニックスの、奇妙な物語である。彼らは、メキシコ・シティーの繁華街にあるグリンゴ・サーカスで働いていた。オルゴは女たらしで、サディスティックでセクシャルな関係を浴していた。現在の相手は“刺青の女”だ。コンチャは、狂信的にある偶像を崇拝していた。それは2人の男にレイプされ両腕を切り落とされサンタ・サングレ(聖なる血)を流した乙女の像である。
フェニックスは繊細で感受性豊かな少年。孤独がちな彼には、刺青の女が連れてくる養女で6歳の少女アルマと、淡くかよいあう感受性の交流があった。しかしアルマは、哀れにも生まれながらの聾唖者だった。
ある夜、オルゴの浮気の現場を掴まえたコンチャが彼の下腹部に硫酸をかける。激怒したオルゴは彼女の腕を切り落とし自らも喉を切って自殺する。この一部始終を目撃したフェニックスは、ショックのあまり精神を病み、施設に収容される。
やがて成長し施設を出たフェニックスは、母親と奇妙な一心胴体芸を生み出す。何かに取り憑かれたようなコンチャの心と、フェニックスの腕が一体となって生まれるフリークス・ショー。コンチャの意志のままに、フェニックスは狂気の母親に代わって、身の毛もよだつような殺人を犯していく。息子の前に現れる女すべてに復讐を叫ぶコンチャ。夢遊病者のように殺人を繰り返すフェニックスの前に、美しく成長したアルマが訪れた時、彼は初めて母親の「殺すのよ」という声に抵抗した・・・。

私はあなたに手をさしのべ、わが魂は乾いた地のようにあなたを慕う。
道を教えたまえ、わが魂はあなたを仰ぐ。
(詩篇第143篇)

ホドロフスキーは語る
「私は、映画であなた方を射止める。忘れられない映像で、見る人を負傷させたいのだ。」 アレハンドロ・ホドロフスキー

『サンタ・サングレ』についてホドロフスキーは、「この映画は、神の技だ。私は単なる手先にすぎない。神が私に、やらせたのだ」と語っている。「このストーリーは歴史的に事実だけれど、私は神話的に広げ、自分の体験も加えた。私は、自分が精神的に犯罪を犯してきたという気がする。私は、結婚した妻たちを、精神的に殺してきたのだ。私の精神は、彼女らの墓場なのだ。この映画はサーカスを舞台にしているが、私は若い頃ピエロだったし、父はサーカスの役者だった。母はオペラ歌手だ。こうした個人的体験が、殺人者の事実と交じり合っているわけだ。」と語った。さらに彼は「私は栄光やお金は映画に求めていない。いま私が欲しいのは、自分の楽しみのための個人的傑作だ。しかし、芸術は公共のもの。そうでなければ、芸術といえない。そして、本能的に命じられた芸術は、それを見た者に、何かを訴える。だから、『サンタ・サングレ』を見る者は、私の涙に映った己の姿をみるだろう」としめくくった。

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アレハンドロ・ホドロフスキー(監督)
映画監督、作家、舞台演出家、そして音楽家でもあるホドロフスキーは、1929年ロシア系ユダヤ人としてチリに生まれた。’53年に渡仏。’67年にメキシコに移り、作家、映画監督としてデビュー。監督第2作の『エル・トポ』により、国際的な地位を築いた。『エル・トポ』は今日でも最も重要なカルト・ムーヴィーの1本と評価されている。’73年には、最高傑作とされる『ホーリー・マウンテン』を製作。’75年、ミッシェル・シドーのプロデュースによりフランク・ハーバートの「デューン」をスタートしたが挫折。’80年にはインドを舞台にした『TUSK』を発表している。
この間ホドロフスキーは、フランス・コミックスのメビウス、ジョルジュ・ベスなどの原作者としても活躍。なお『サンタ・サングレ』の次作は、期待の『エル・トポの息子』。

クラウディオ・アルジェント(製作)
イタリア映画界の巨匠ダリオ・アルジェントの実弟であり、兄ダリオの監督作品『サスペリア』『サスペリア2』や、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』をプロデュース。

アクセル・ホドロフスキー
’65年メキシコ生まれ。『サンタ・サングレ』は彼にとって映画初出演となったが、彼の父は、この作品の監督、アレハンドロ・ホドロフスキーである。彼はこの映画で、成人したコンチャの息子フェニックスを演じている。

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スタッフ・キャスト

製作総指揮:アンゲロ・イアコノ/ルネ・カルドナJr
製作:クラウディオ・アルジェント
監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー/クラウディオ・アルジェント/ロベルト・レオーニ
編集:マウロ・ボナンニ
音楽:サイモン・ボスウェル
撮影:ダニエーレ・ナンヌッツイ
美術:アレハンドロ・ルナ
衣装:トリータ・フィゲロア

キャスト:アクセル・ホドロフスキー/ガイ・ストックウェル/ブランカ・グエッラ/セルマ・テイゾー

1989年/イタリア/122分/カラー


提供:J.C.A
配給:ケイブルホーグ

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