うたかたの日々

うたかたの日々 

l’ecume des jours

大事なことはふたつだけ。ありとあらゆる形の、美しい娘たちとの恋愛、
それにニュー・オルリンズかデューク・エリントンの音楽。
それ以外は消えてしまってよい。醜いんだから。

1995年3月11日-1995年4月21日

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作品概要

「テクノで、ラブリーで、ストレンジな青春映画」 川勝正幸
★ボリス・ヴィアンなんて知らないよ!って人向けの解説

ニュー・オルリンズ・ジャズを弾くと美味なカクテルが一丁上りなんていうピアノ・カクテルは、なんともテクノ仕掛け!女の子たちの衣装はレイト・シックスティーズで、とってもラブリー!ボーイ・ミーツ・ガールしたら即結婚式なんて強引な展開は、まじストレンジ!『うたかたの日々』は、原作のボリス・ヴィアンのことなんか知らなくても、「テクノで、ラブリーで、ストレンジな青春映画」として楽しめちゃう。だから、この映画面白そう!ってピンと来た人は、本屋に寄り道せずに映画館へ走ってもだいじょうぶなんだけど、日本で公開されるまでのイキサツってのがけっこうグッとクるストーリーなんで、ちょっと読んでくれるとうれしい。
’46年、パリ。アンダーグラウンドなクラブに、アメカジを着てジャズで踊る若者たちがいた時代。ジャズ・トランぺッターをはじめ2ケタの肩書きを持つ男!ボリス・ヴィアン(’20~’59)は、世界一悲痛な恋愛小説を書いた。そう。それが「うたかたの日々」。彼が26歳の時のこと。ところが、同じ年にちょっとした遊び心で書いたハードボイルド小説「墓に唾をかけろ」がバカ売れ、それも内容が不道徳!と世間でスキャンダルな話題になったせいで。そして、彼は「うたかたの日々」の、ではなく、「墓に唾をかけろ」の作家として39歳で死ぬ。なんと、不本意な映画化をされた『墓に唾をかけろ』の試写中に。
’63年、パリ。映画プロデューサーのアンドレ・ミシュラン(’65年にゴダールの『アルファヴィル』も製作)は、「うたかたの日々」の映画化権を買う。その翌年、「うたかたの日々」の新装版が発売され、パリの若い人々はボリス・ヴィアンを発見する。先見の明を認められながらも、映画化はリスキーちゃう?と業界で噂される中、ミシュランはある映画のロケ現場で、表紙がボロボロになった「うたかたの日々」を無心に読んでいた俳優のシャルル・ベルモンに出会う。彼はその若者にカフカの短編を映画化させて、腕試しをさせたあと、ついに『うたかたの日々』をクランク・イン。そして、映画は’68年、そう、パリで五月革命が起こった年に公開された。

’94年、東京。ボリス・ヴィアンの弟分であるセルジュ・ゲーンスブールのレコードがクラブで回り、パリのジャズに関心が集まり、岡崎京子さんが「うたかたの日々」の漫画を“CUTIE”に連載を始めた年。粋狂な映画会社がヴィアン・ファン(僕のことです)の願いを聞いて『うたかたの日々』を買った。届いたフィルムをおそるおそる観たら、完璧な映画ではないが、愛し愛されて生きたいと願うコランとコレクターとして生きるシックと美しい娘たちとの恋愛……と、正に“今の映画”だった。そして、僕はボリス・ヴィアンが観たのが『墓に唾をかけろ』ではなく、『うたかたの日々』だったら、試写中に死ぬことはなかったに違いない!と妄想した。『うたかたの日々』はそういう映画である。


「錆びてゆく彼、彼ら、彼女、彼女ら 」岡崎京子
★ボリス・ヴィアンの映画化なんて無理でしょ?って人向けの解説

―「うたかたの日々」の映画なんだけど。
―OK。タイトル・バックが可愛いいね。何か“ドナドナ”って感じだけど。男の子があんま可愛くないね。
―そ。コランもシックもニコラもラブリーじゃないのが難点。さらに言えば睡蓮が肺に巣食ってしまう我らが美女クロエがちょっと役不足って感じしない?
―そうかな?最初はクロディーヌ・ロンジュばりのロリータ・カマトト風が結婚して人妻になったとたんエロっぽくなっていいと思ったけど。アリーズは、いいね。
―原作に忠実なとことアレンジしてあるとことか上手く行ってる。でもコランがクロエをナンパしたとたん結婚式というのは……。
―ダメ?
―ううん、おどろいただけ。ヴィアンの「うたかたの日々」は饒舌でミリキ的な隠喩や人間とモノが等価にあつかわれたり、ときにはその関係が倒置される手法によって読む我々をストレンジな感覚にいざなうんだけど、基本的には“若者がだめになってゆく”というシンプルな構造だからそこらはクリア。
―恋をしたい若者が恋をして愛し愛され生きて行きたいのに上手くいかない。ヴィアンのクールなところはその原因を内面的な自己葛藤として描かないとこだよね。若者である彼、彼ら、彼女、彼女らは魅力的だけど空っぽで空虚で機械みたいだ。恋愛する機械。青春する機械。だけど(だから?)彼、彼ら、彼女、彼女らは鉄や銅が塩気や湿気によって錆びてゆくようにだめになってゆくんだな。
―労働、社会、お金とかによって。外部からの腐蝕的な何かによって。若さゆえの奢りがどんどんたたきつぶされてゆく。
―青春やねぇ。
―青春だよ。だめになってゆくのが現代の青春だからねぇ。『さらば青春の光』然り、『シド&ナンシー』然り。『ツイン・ピークス』のローラ・パーマーも一人ぼっちでだめになってゆく女の子だったなぁ。
―ジャームッシュとかはどう?あれはだめになんないじゃん。でも青春じゃん。
―最初からだめであることが前提という立場なんだろうなぁ。でも本当、よく映像にしてあるよね。うーん、マンダム。
―そ。ヴィアンの原作は言語的虚構のてんこもりで具体的な映像をつくるのは難儀なんだよ。例えば“両側に太陽が輝いていた。何故ってコランは明るいのが大好きだったからだ”とか“拡大鏡で見るとあんまり醜いので急いでにきびは皮膚の下にもぐり”とかね。ピアノ・カクテルとか……。
―ぷにぷにして可愛いいよね。お金かけずに上手にやってる。ねずみが出てこなかったのが残念だけど。
―無理言うなよ。この映画、ティム・バートンでリメイクすると素敵かも。
―それこそ無理言うなよ、じゃ。
―ピース・バイなら。

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スタッフ・キャスト

製作総指揮:アンドレ・ミシュラン
監督:シャルル・ベルモン
原作:ボリス・ヴィアン
脚本:ピエール・ペルグリ/フィリップ・デュマルセイ/シャルル・ベルモン
製作:クロード・ミレール

キャスト:ジャック・ペラン/マリー=フランス・ピジエ/サミー・フレー/アレクサンドラ・スチュワルト/ベルナール・フレッソン/アルビー・ビュロン

配給:日本ヘラルド映画

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