ジェリコー・マゼッパ伝説

ジェリコー・マゼッパ伝説 

MAZEPPA

ただ驀進、奔進、遠くかなたに・・・。
馬こそは画家の宿命であった。

1995年12月16日-1996年1月19日

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作品概要

解説-----

19世紀ロマン派を代表する美貌の画家ジェリコー、その情熱と苦悩に満ちた芸術創作の瞬間

美の創作に己のすべてを賭ける芸術家の情熱と苦悩の姿を描いた作品としては『美しき諍い女』が記憶に新しいが、バロック主義からロマン派へ、まさに美術史の流れが移り変わろうとしていた1791年に生を受けた美貌の画家テオドール・ジェリコー。その芸術と馬に捧げた、33年の儚くも美しい生涯を描いた、芸術大作が誕生した。
幾多のロマン派の名手たちが心酔し追求した『マゼッパ伝説』とは・・・

そのジェリコーをはじめ、画家のみならずジャンルを越えた19世紀ロマン派のアーティストたちが競って取り上げたたテーマが「マゼッパ」である。1644年生まれのポーランド貴族にして騎手であったイヴァン・マゼッパのの奔放で情熱的な生き様について、まずバイロンが叙事詩(1819)をしたため、次いでジェリコーが油絵(1822)とリトグラフ(1823)を、画家で他にカルル・ヴェルネの息子オラース、ルイ・ブーランジェ、ウジェーヌ・ドラクロアらが競作した。文学者ではプーシキやユゴーが、また音楽家ではリストやチャイコフスキーが「マゼッパ」に魅せられ、数々の傑作を残している。
現代舞台芸術の最高峰“ジンガロ劇団”の騎手バルタバス!!ラクロアをはじめ、パリ・ファッション界が注目の男
そして1991年、パリのグランパレで開催された『ジェリコー展』を覗き、ジェリコー、そしてマゼッパにインスパイアされた男がいた!いまをときめくジンガロ劇団の座長バルタバスであった。すでにアヴィニョン芸術祭で脚光を浴び、現代舞台芸術の寵児となあったバルタバス。彼の率いるジンガロは騎馬オペラとも、馬芸術団とも呼ばれ、パリはもちろん、全ヨーロッパで大ヒット、そのチケットは2年先まで予約不能だという。
ジェリコーがその一生を捧げた馬、憧れ続けた曲馬の達人フランコーニ、このいわば師弟関係ともいえる物語、そしてロマン派が魅せられた「マゼッパ伝説」をバルタバスは究極の芸術表現=映画化しようと決意、磨き尽くした自らの究極の馬術と鍛え抜いた愛馬を駆って・・・。1993年のカンヌ映画祭で監督処女作としては異例の最優秀芸術貢献賞を受賞、バルタバスは映画でも見事に成功を収めたのだ。

ジェリコー、マゼッパ、バルタバス・・・3つの個性と才能が時空を超えてリミックス!!
話題のバルタバスは監督・脚本の他、ジェリコーが尊敬したというフランコーニ役を自ら買って出、劇中でジェリコーとの夢の共演を果たす。そのジェリコー役には『王妃マルゴ』『ハイヒール』のミゲル・ボゼが扮し、妖艶な光を放つ。ジンガロの中の躍動感を余すことすらなく撮らえたカメラは、『地獄』『オリヴィエ オリヴィエ』の名手ベルナール・ジゼルマン。音楽・衣裳をはじめ出演者など、ほとんどのパートをジンガロ劇団の面々が受け持ち、製作は『トリコロール/三部作』『グッドモーニング・バビロン!』の映画界の重鎮マラン・カルミッツが担当した。

物語-----

19世紀初頭、パリの画壇に彗星の如くデビューした若き美貌に画家がいた。彼の名はテオドール・ジェリコー。
幼少の頃より馬に魅せられ、野山を荒馬で駆け巡っていた彼は、画家としても馬を書かせたら当代随一であった。ある日そんな彼にひとりの男が声をかけた。「君には本当の馬がわかっていない。知りたければ1カ月後に来い」。痛烈な科白を残して立ち去ったのは、曲馬の名手フランコーニであった。ジェリコーが待ち切れずに出向いたのは、フランコーニの主宰するシルク・オリンピック。アリーナで壮麗な馬、歌い手らによる華麗で情熱的なショウが繰り広げられていた。
馬と人間の人馬一体となった魂のユートピアをそこにみた彼は、団員と行動を共にし馬の匂いを肌で感じ、己の全てをかけて馬を描き続ける。
しかしまだジェリコーは気がついていなかった。この幸福な時がいつまでも続くはずがない事を・・・。若き女性騎手との恋、迫りくる近代の足音が2人を大きく押し流そうとしていた。



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スタッフ・キャスト

監督+原案+脚本:バルタバス
製作:マラン・カルミッツ
共同脚本+台詞:クロード=アンリ・ビュファール
撮影:ベルナール・ジゼルマン

キャスト:ミゲル・ボゼ/バルタバス/ブリジット・マルティ/エヴァ・シャクムンデス/ジンガロ劇団の面々

1993年/フランス/107分/カラー/ヴィスタ/ドルビーステレオ
字幕:井上明 


配給:コムストック・J

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