シド アンド ナンシー

シド アンド ナンシー 

SID AND NANCY

─ 生き急いだ恋人たち

1997年7月12日-1997年8月1日

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作品概要

シド・ヴィシャス
セックス・ピストルズのベーシスト。1979年、ドラッグ中毒により死亡、享年21歳。

ナンシー・スパンゲン

ブロンドのグルーピー、シドの恋人。1978年10月12日、N.Y.チェルシー・ホテルにて刺殺体で発見される、享年20歳

ピュアではかない恋人たち─
この物語は孤独を抱えたはかない恋人たちの美しく残酷な愛の形である。それはまるで今世紀n生まれ落ちてしまった“ロミオとジュリエット”─二人の名前はシドとナンシー。
無垢なあまり薄汚れた世界に引き寄せられ、互いの心の隙間を埋めるかのように求めあう二人。母親のようにシドを抱きしめるナンシー。彼女を傷つけることでしか愛を伝えられない、幼い少年のようなシド。彼らの愛は彷徨うことなく死を選び、死によって永遠のものとなった。
不器用な二人の反抗的アティチュードは、たくさんの「くだらねぇこと」の反対側で昇華していった。二人の選んだ人生は、スプーンの上で溶かされ、脱脂綿で濾過され、私たちの静脈に入り込んでくるかのように魅力的で鮮明だ。そしてだからこそ、最高にピュアなものとなる。

時代の共犯者、ロックとドラッグ─
90年代は、様々なものが入り交った時代。それらを代表しているのは音楽のオルタナ・シーンであろう。最近このシーンで活躍中の多くのミュージシャンが次々とヘロインで命を落としている、かつてセロニアス・モンクが謳った「ジャズと自由は手をつないで行く」。これはロックとドラッグのの関係性にそのまま投影されているようだ。表現者であるがゆえの葛藤。精神的高揚、それに伴う孤独。ステージに立つ彼らの叫びは、かき乱れたメロディーへと変換されていく。これらのいわゆる「音楽外」の要素がオルタナの音に大きく反映していることは、認めざるを得ない。
故カート・コバーンが遺した音楽の数々は、彼のドラッグも含んだ苦悩を見事に証明している。また、彼の妻であり、この映画のナンシーの友人役として出演しているコートニー・ラブは、追悼式の際、大勢の人々の前でカートの遺書を読み上げた後、彼を激しく非難するという誰にも真似の出来ないやり方で、自ら命を絶った夫を最大限に擁護してみせた。今『シド アンド ナンシー』を観て多くの人がそんな彼女の姿をナンシーに重ねるのではないだろうか。実際、カートの音がヘロインを常用癖を含む彼の私生活と深い関係を持っていたようにシドとナンシーの愛もそれを解釈することなしにはその深刻さを見過ごしてしまうだろう。

情熱的な愛は死の中にのみに存在する─
情熱的な愛は死の中にのみ存在する─監督アレックス・コックスは、本作品についてブニュエル監督の言葉を引用している。パンクはオルタナティブへ、アナーキズムは奇妙な個人主義への変貌した今でも、この映画の伝えているものは普遍的な匂いとともに、観る者を捉えて離さない。そして、この二人をすでに知っている者も、これから知っていくであろう者も、この究極のラブ・ストーリーを堪能して欲しい。

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アレックス・コックス監督プロフィール
1954年、英国生まれ。オックスフォード大学で法律を学んだ後に映画の世界に転身。ブリストル大学、UCLAなどで映画を学び、脚本を書きはじめる。監督デビュー作は『レポマン』(84)。以後、『ストレート・トゥ・ヘル』(86)『ウォーカー』「87)など話題作を続々と発表。『エル・パトレイロ』(91)を発表後は本拠地をメキシコに移し、さらなる才能を開花させる。1997年には新作の『死とコンパス』『ザ・ウィナー』が公開待機中、また製作の準備中に『ルイス・ブニュエル─秘密の生涯』(仮)がある。


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スタッフ・キャスト

監督:アレックス・コックス
製作:エリック・フェルナー
脚本:アレックス・コックス/アベイ・ウール
撮影:ロジャー・ディーキンズ
音楽:ジョー・ストラマー/ザ・ポーグス/プレイ・フォー・レイン
編集:デヴィッド・マーティン

キャスト:ゲイリー・オールドマン/クロエ・ウェブ/アンドリュー・スコフィールド/トニー・ロンドン

1986年/イギリス/カラー/ニュープリント/ヴィスタ/113分
字幕:松岡葉子


配給:ケイブルホーグ

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