モハメド・アリ かけがえのない日々

モハメド・アリ かけがえのない日々 

MUHAMMAD ALI “WHEN WE WERE KINFUS”

誰にでも一度は王者になる瞬間がある

1997年11月15日-1998年1月30日

★第69回アカデミー賞 長編ドキュメンタリー賞受賞

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作品概要

“蝶のように舞い 蜂のように刺す”世界を魅了し続けた男

真実だけが持つ感動

真実ほど感動するものはない。そこには作り物のストーリーでは描き出すことのできない心ふるわせるドラマがある。『モハメド・アリ かけがえのない日々』は生涯に数多くの逸話を残すボクサー、モハメド・アリが1974年に闘った“キンシャサの奇跡”=“ランブル・イン・サ・ジャングル”と呼ばれるタイトルマッチの映像を綴った真実の物語だ。本作は、全米で97年2月に公開されるや観客をその熱気に渦に巻き込み、第69回アカデミー 長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

「俺はかくも偉大で、俺自身でさえ感動する」
“俺は偉大で美しい”そんなセリフを自ら言ってのけるアリはJFKやマルコムXとならんで、時代のヒーローだった。通算61戦56勝37KOとう強さもさることながら、“蝶のように舞い、蜂のように刺す”と言われた軽やかなファイトや、ラッパーさながらの名ゼリフ、徴兵拒否、ブラック。ムスリムへの改宗、“故郷”アフリカへの帰還など、その言動は常にマスコミを騒がせ、人々を魅了した。病に冒された今もチャリティ活動を行い、96年のアトランタ・オリンピックでは聖火台に現れ観客を驚かせた。そんなアリの生涯の中で人生の転機となった出来事が“キンシャサの奇跡”だ。

1974年キンシャサ、奇跡を起こした男たちがいた
1974年、モハメド・アリはアフリカ、ザイールの都市キンシャサに降り立った。WBA世界ヘヴィ級チャンピオン、ジョージ・フォアマンとのタイトルマッチを行うためだ。前評判では32歳のアリに対し、破壊力あるパンチを持つ26歳のフォアマンが圧倒的に有利と言われていた。しかしアフロアメリカとアフリカ人との連帯を叫ぶアリは、「アリ、ボマイエ! アリ、奴をやっちまえ!」という大合唱とともに熱狂てきな歓迎を受ける。その歓声に支えられるようにアリは強気な発言を繰り返していた。フォアマンの負傷による6週間の延長を経て、いよいよ10月30日全世界10億人が見守る中、試合のゴングが鳴らされた。

そこでは誰もが王者だった
1974年10月はまた、このイベントに関った全ての人にとって忘れられない時となった。両選手500万ドルという破格のファイトマネーを提示しイベントをプロモートしたドン・キング。その資金を国家財政から供出したザイールの独裁者モブツ・セセ・セコ。試合の前夜祭として“黒いウッドストック”と呼ばれるライブ・イベントも開催され、アフリカのアーティストを中心にアメリカからもジェームス・ブラウン、B.B.キング、ザ・クルセイダーズなど豪華メンバーが参加。歴史が変わる一瞬を目撃しようとしている人生最高の時を迎えようとしていた。誰もが輝いていた瞬間、王者だった瞬間。その熱気は大きなうねりとなって時代を越えた今も観るものの胸を熱くする。

制作年数22年、“奇跡”が今甦る
監督のレオン・ギャストは30万フィートものフィルムを編集、制作上の障害を乗り越え、22年の歳月をかけて本作を完成させた。サウンドトラックには“黒いウッドストック”の貴重な音源に、フーシーズとブライアン・マクナイト&ダイアナ・キングによる新曲が加えられた。未知の体験への期待と興奮に包まれているイベント前夜の模様に、新たに撮影した作家のノーマン・ミラー、映画監督のスパイク・リーなどへのインタビューを巧みに折り込み、アリがチャンピオンベルトに再び挑む過程をドラマチックに再構成。現代に生きる我々に勇気を与えてくれる“奇跡”の映画がここに誕生した。




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スタッフ・キャスト

監督:レオン・ギャスト
製作総指揮:デイヴィッド・ソネンバーグ
コンサート・プロデューサー:スチュアート・レヴァイン/ヒュー・マサカラ/ロイド・プライス
スティール・フォトグラファー:ハワード・ビンガム

キャスト:モハメド・アリ/ジョージ・フォアマン/ドン・キング/ジェームズ・ブラウン/B.B.キング/モブツ・セセ・セコ・ザイール元大統領/スパイク・リー

1996年/アメリカ/カラー/ヴィスタ/ドルビー・ステレオSR/88分
字幕:岡田壮平

サウンド・トラック:マーキュリーM.E.

提供:アスミック/TBS
配給:アスミック

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